13042023

私は、アカデミアの受け皿であること以外の存在意義が余り思い浮かばないような大学出身の1人である。所謂Fラン。就職氷河期世代だが、早々に東証上場企業での研究開発職の内定を貰い、それを蹴って地元の小企業での研究開発職を選択した。

家族に恵まれず、自己肯定感は極端に低く、ヒネクレ人間に育ったが、友達と転職に関しては神様の導きとしか言いようのない出会い、経験、機会、実績に恵まれてきた。頼ることができる家族がいなくても、孤独すぎず、平常心を失わずに子供達を育て家族生活を営むために必要な収入を確保して、今日まで生き延びている。今のところ。

現在は、外資企業らしくダイバーシティを重視する環境で働いているのだが、大卒の私は少数派で、周囲は修士号、博士号取得者ばかり。日に日に自分自身の物事の捉え方、処理の仕方、解決策の見出し方、コミュニケーション力に問題にあることを痛感し、適切な訓練を受ける必要があると考えるようになった。

コロナ禍で通信大学院を検討したことがあるのだが、私が希望する領域は通学だったので断念した。しかし、断念したところで状況は何も改善されない。大学院卒の友達に相談したら、学歴という肩書による信用についての助言をしてくれた。

また先日、学歴ついて、出会う必要の無い相手に出会わないようにするため、優秀な人々に出会って共に学生生活を送る機会と経験を得るため、勉強だけなら自力でもできる、といった趣旨のTweetを読み、大いに考えさせられた。

高等教育の機会があってもなくても、人は人だし、私は私だ。そして私のような自己肯定感が低く他人とのコミュニケーション力に乏しい人間は、今ではなく、10年20年30年前に、真剣に学歴について検討すべきだったのではないか。今後20年の転職活動のために肩書による信用を得る行動を起こすよりも、子供達の学費として貯蓄する方が現実的ではないか。

まだ結論は出ていない。